fstoe's blog

現実に生きる人間というものに対して、深い哲学的考察を目指しています。

The Intervierw 一転して公開

なんか北朝鮮とみられるサイバー攻撃によってその映画は公開中止になってたけど「表現の自由」を声高に言いながら結局は公開することになった。

アメリカの人気アニメであるファミリーガイでは、日本人とみられるキャラが「ハラキリ!」って言いながら嬉しそうに腹切って死んでいくシーンがあるけど、これも表現の自由なんかなあ。

 

探偵ナイトスクープ

う~ん、最近の探偵ナイトスクープは面白くなくなってる気がする。

これは関西色の強い芸人を、関東色の強い芸人にごそっと入れ替えたからだと私は考えてる。恐らくナイトスクープの製作者は東京進出を意識しているのだろうが、東京ではナイトスクープは「東京MX」という極めてマイナーなチャンネルでしか流れていない。だからもともとナイトスクープのような関西色のお笑いは関東では受けないのだ。だったらもともとのディープな関西色を保ちながら関西人のみをターゲットにした方がより面白い番組として保てた気がするのだがどうかな?今は亡きたかじんが頑なに東京進出を拒んだのも、そういう点にあったのではないのか?

 

いきなり一般市民の家の中に突撃したり、道行く人にいきなり「人生とは何か?」みたいなインタビューするのが好きだ。関東では(というか世界的に)あり得ない。

もんじゃ焼き

今日はもんじゃ焼きを食べたくて月島に赴いた。関西人はよくもんじゃ焼きとお好み焼きを比べたがるが、私はもんじゃも好きだ。あのチビチビした感じがなんとも言えない。という訳で月島の「近どう」というお店に赴いた。何故「近どう」かというと、理由は単純で「完全禁煙」を明確に宣伝していたからだ。

そういえば、日本の飲食店で唯一残念な点が「喫煙」出来る店が多い点だ。昨日は吉祥寺のカフェでわざわざテーブルに灰皿を置いていない店を選んだのに、席に座るなり「灰皿はいりますか?」と聞いてきたときには「やられた~」と一本取られた気分になった。「世界貢献」や「世界標準」をやたらと謳っている最近の日本だが、それだったらまずは飲食店を禁煙にしないとダメだよ。

世界標準で思い出したが、関西空港は間違いなく恥ずかしい空港やで。関西ほどの人口と経済規模を有している都市が、関空のような小さな国際空港しか持っていないというのは、とても恥ずかしいことなのだという事を関西人は自覚するべきだ。実際私は恥ずかしい。初めて関空に降り立った外国人は間違いなく心の中で「しょぼい空港やな~」って思ってると思う。これも結局は関西圏に3つも空港があるせいなのだ。大体「都心から関空は遠い」といわれているが、世界標準からいうと、決してそんなことはない。私の経験から言うと、空港というものは大体郊外にあるものなのだ。伊丹や福岡空港のようなものはむしろ例外と思った方が良い。

そもそも日本は世界標準になりきれてない。日本人テニスプレーヤーが世界大会で2位になって日本は沸き立ってニューヨーカー(とは言ってもただのその辺のアメリカ人)に「日本人のテニスプレーヤーの快挙にどう思いますか?」と嬉しそうインタビューしている時点で、やはり日本は世界標準になりきてれない。本当に世界標準になりたいのなら、各国の世界的人材がわざわざ日本に来るようにならないとダメだ。テニスでいうなら、全日オープンで世界各国のトッププレーヤーがわざわざ日本に来てプレーするようにならないと、決して世界標準とは言えないのだ。

 

とまあ色々言ってみたが、とにかくもんじゃはうまかった。あのおこげがたまらんな~。

 

 

 

 

 

 

箱根-東京

今日は新宿近くの家から箱根に行こうと思い立って、車で行ってみた。家を出たのが12時半だったのだが、まあ2時間以内に着くだろうと適当に見積もっていたのだが、今日が3連休の一日目だということをすっかり忘れていて、大渋滞に巻き込まれた。東名もチョロチョロとしか進まない。まあけどせっかく行こうと決めたから頑張って箱根まで運転した。そしたら着いたのが16時過ぎだった。

 

富士山を見たいと思ってたが、残念ながら雲さんが富士山を覆ってしまっていた。。

 

まあ帰りは渋滞もないやろうと思ってたら今度は「火災渋滞」が発生しているとのこと。「火災渋滞ってなんやねん??」まあ気長に下道で頑張ってドライブした。そしたら家に着いたのが夜の9時過ぎになってしまった。

今日はThe 東京を味わった貴重な一日となった。次からはロマンスカーやな~。

 

東京人の尊敬できるところ。

私は今は東京の23区内(新宿の近く)に住んでいるのだが、どうも騒音の度合いが他の都市と比べて一段とレベルが違う気がする。

それは物件の質と密接に関連しているのだが、今住んでいる物件の質だと、札幌では半額、いや、下手したら3分の1の家賃で住めるだろう。それくらいに物件の質が低い。月15万円も払って何の変哲もない木造にしか住めないのはちょっと驚愕だ(まあその分便利な場所なのだが)。

木造で近隣の扉の開け閉めや水道のゴ~という音がうるさい。いや、うるさいようなうるさくないような、、、微妙なレベルだ。まあこういうレベルの騒音は東京では日常茶飯事なのだろう。両隣の住人も私と同じような間取りなのに、両隣とも6,7年以上も平然と住んでいる。まあ6,7年も住むと戸の開け閉めも水道のゴ~も気にならなくなるのだろう。。。もう東京人は尊敬に値する。

他の都市、ニューヨーク市やソウル市、上海市、シカゴなどの大都市の通勤電車と比べても、東京の電車の中が異様に静かなのもうなずける。隣人とは薄っぺらい壁一枚しか隔てていないので、個々人の振る舞いが自然と物静かなものになってしまうのだろうなあ。。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世間一般の人でも悟れる「一番簡単な真理」

人間一人ひとりが最も考えるべきことは「空虚感」である。これは単純に、人間が人間として事実としてこの世に存在する以上、どこの誰に対してもその日常の奥に潜む「当たり前」だからである。要はこの「空虚感」という当たり前があるからこそ、「将来の夢」に向かって何かに打ち込むことでその「空虚」を忘却するのである。「子孫繁栄」という生命の神秘に触れることで、その「空虚」を忘却するのである。これが世間一般の人でも悟れる真理である。

 

「空虚」を真理としてあげたが、それをもっと単純な真理、すなわちその辺にいる世間一般の人でも簡単に理解できる真理として掲げなければなるまい。もちろん真理とは実際にはなかなか言葉で表せないくらいに、言葉で表されたとしても誤解を招くくらいに難しいものである。しかしやはり世間一般の「普通のその辺のひと」でも理解できるものに噛み砕かなければなるまい。


「一番簡単な真理」とはこうだ。


椅子に座る。10秒間ボーっと座る。その間にテレビのスイッチを入れたりスマホをいじったりせずひたすら何もしない。10秒後に落ち着いた後に冷静にイメージするのだ「いつかは私は必ず死ぬ。死んだ後は文字通り永遠の無」とリアルにイメージするのだ。死のイメージはしにくい。生きてるものの中で死んだ経験をした者がいないからだ。しかしそれが問題なのではない。イメージするのは、この何気無い日常が永遠に消え去るイメージである。特に自分が一番愛する者、大切にしているもの、大切な空間、時間、日常等々が(残酷だが)それらが無慈悲に自分から消え去る(実際は自分が消え去る)イメージをするのだ。

 

最低でも3分間行おう。


このイメージの後に残るのが「空虚」である。この世で何をしようが何をしないでいようが、結局は無になるという空虚感。この絶対的空虚感こそが我々が提示しようとしている「一番簡単な真理」に他ならない。この一番簡単な真理こそ、その辺の世間一般のひとが悟れる唯一の真理(悟り)である。


死をリアルにイメージすることで得られる「絶対的空虚」こそが一番簡単な真理であることを示した。しかしながら、これだけでは誤解が起きる恐れがある。一番起きやすい誤解が「その空虚というものは、ウツではないのか。ウツに陥ってしまうと、それこそ人生を悲観し、そして最悪の場合はその悲観によって自殺をしてしまうのではないか。」といった誤解である。


まず、ウツではない。ウツとは「日常生活に支障をきたすくらいに落ち込んだり不眠、食欲不振などに陥る」状況である。ここで言っている空虚とは、その日常が普段どおりに流れている中での空虚である。普段どおりベッドから起き、普段どおり仕事をし、普段どおり風呂に入り、普段どおり寝る。この繰り返しの中で自覚する「空虚」なのである。もっというと、そういう空虚感の中でも「自分の好きな野球チームのリーグ優勝」や「タイムズスクエアのカウントダウン」で人生最高の幸せを感じることすらある。「生きていることに意味はない」といって、わざわざ日常を壊すわけではない。そういう状況ではなく、ただただ一切が過ぎ去る流れの中(永遠回帰的な感覚)でただただ静かに感じる「空虚」である。


一般市民は、多かれ少なかれ「未来に夢を持ってその夢の実現のために一生懸命に努力する人生」こそが幸せであると思っている。ここで言っている空虚はそれとは次元を異にする。夢なんてない。未来なんてない。とはいっても悲観主義でもなく、ウツでもない。ましてや自殺を助長しているわけでもない。そこにあるのは、ただただ一切が過ぎ去る「瞬間」の流れのみである。


これが一般市民でも簡単に悟れる「一番簡単な真理」である。